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大垣の先賢(せんけん)

江馬蘭斎(えま らんさい)

江馬蘭斎(えま らんさい)

蘭斎は、延享(えんきょう)4年(1747)、現在の大垣市伝馬町に生まれました。

大垣藩(おおがきはん)で医者として働きながら、子どもたちに書道を教えていた江馬元澄(えま もとずみ)は、書道を習いにきていた蘭斎の才能(さいのう)に気づき、養子にむかえました。
※養子…血のつながりのない人が親子になること

蘭斎は、元澄のもとで医術(いじゅつ)を学ぶとともに、人を大切にする心も学びました。

安永(あんえい)3年(1774)に元澄が亡くなると、蘭斎は28歳で元澄のあとをつぎ、藩の医者になりました。

蘭斎は、大垣藩で漢方医をしていましたが、漢方で治すことができない病気も蘭学(らんがく)で治すことができると知り、江戸で杉田玄白(すぎたげんぱく)や前野良沢(まえのりょうたく)から西洋医学を学ぶことを決心しました。
※漢方医…中国から伝わった医術で治療(ちりょう)する医者
※蘭学・西洋医学…主にオランダから伝わった学問・医術

46歳から蘭学の勉強を始めることは蘭斎にとって大変むずかしいことでしたが、決してあきらめることなく3年間、必死(ひっし)に勉強をしました。

江戸で蘭学を学んだあと、大垣にもどり蘭方医(らんぽうい)として大垣で最初に開業するとともに、「好蘭堂(こうらんどう)」という蘭学の塾(じゅく)も開きました。
※蘭方医…西洋から伝わった医術で治療する医者

しかし、新しい西洋の医学を信用できないと、人々になかなか受け入れられませんでした。

そんな時、京都の西本願寺(にしほんがんじ)に文如上人(もんにょしょうにん)というえらいおぼうさんがいました。文如上人は、30年近く病気が続き、歩くこともできない状態でしたが、蘭斎は見事にこの病気を治してみせました。

このうわさはすぐに人々に広まり、蘭斎のところに診察(しんさつ)を希望する患者(かんじゃ)や塾への入門を希望する人がたくさんおとずれ、西洋の医学を人々に広めることができました。

江馬蘭斎(えま らんさい)

構成(こうせい)・作画/渡辺浩行(わたなべ ひろゆき)
監修(かんしゅう)/清水 進(しみず すすむ)

江馬蘭斎を紹介(しょうかい)しているマンガは、図書館で借りることができるので、くわしく調べてみよう。


目次 
-大垣の先賢(せんけん)-
江馬蘭斎 飯沼慾斎 梁川星巌
江馬細香 小原鉄心